最新の哲学情報と油圧プレスについて

学のない人間なので哲学を勉強したいと思っているのですが、なかなか難しくて一向にはかどりません。
それに対して油圧プレスのことであれば仕事で使っているということもあって、
使い方から性能特徴のことなどある程度わかります。
結局人間というのは自分の知っていること以外は難しく感じられるもので、
最新の哲学情報を網羅している人でも油圧プレスの事となると
説明をしてもわからないのではないかなと思ったりします。

しかし、油圧プレスの場合には正しい使い方というのがありますし、
誤った使い方をしてしまえば危険な目にあってしまいますが、
哲学の場合には正解がありませんから、その分難しいような気がしています。
どちらにしても、新しいことを覚えるのは大変です。

菅原一秀議員はどんな哲学を持っているのか

最近気になる人物は自民党の菅原一秀議員だ。
たまたま参加したイベントに来賓として参加されていて、
その講演を聞いてファンになった。

ブログなどをチェックしてみると、
「地盤、看板、鞄なし。サラリーマンから国政を目指し、
毎朝7時に練馬区内各駅でマイクを握ってきました。
今年23年目に入り、8000日を超えました」とありました。
日本を立て直すために、ずっと原点に立ち上るべく駅前に立っておられるようですね。
彼の人生哲学をぜひ聞いてみたいです。

レンタルオフィスは青山がいい

哲学者は哲学者同士で集まる方が効率よく?議論ができて良いと思うのですが、
やはり刺激を受けたい場合は様々な趣向を持つ人と議論をするのが良いと思いませんか?
ようはバランスが大事かと思いますが、定期的に勉強会や交流会を持つ場合、
こういったバランスを考えるように気を付けている私です。

さて、様々な業種の人と交流会を行う場合はアクセスの良い場所を選ぶようにしています。
最近レンタルオフィスは青山が使い勝手が良いので気に入っています。

腎不全治療の啓蒙コピーのような文句に。

私が好きな映画で「体の臓器が一人称で話す本」を主人公が読むシーンがあります。
「僕はジャックの結腸です。僕がいないとジャックはトイレにも行けません」
といった具合なのですが、哲学的ですよね。

人の体は沢山ある臓器から成り立っていて、またそれだけでなく、
自分以外の微生物の支えもあって今の自分が健康に生きられているのです。
そう考えると、体の不摂生は自分だけでなく他の命も踏みにじっているようにも思えます。
まるで腎不全治療の啓蒙コピーのような文句になってしまいましたが、
哲学から健康になれるのならそれに越したことはない気もします。

資産継承・底地の鑑定評価!?

友人の資産の話なので詳しいことは書けませんが、
底地の相談という事で色々話している中で
ご両親の居た家と土地を不動産鑑定士に鑑定してもらったそうです。
売却か貸出か、税金の問題もあってかなり悩んでおります。
というか不動産鑑定士という職業があるのですね。それにビックリしました。

家を解体するか~なんて話で思い出したのですが、
京都学派の哲学者・西田幾多郎(「善の研究」「無の自覚的限定」)が居住していた建物が
解体されたとか。
しかし、西田が思索にふけった書斎と、行き詰まった際に行き来したとされる2階の外廊下部分は
京都大学総合博物館などに保存されたそうです。
是非一度訪れてみたいですね。

哲学の元は、サーフィンスクールの波に乗る時の感覚よろしく。

神は死んだ!という言葉以外でもう哲学する必要もないと思ってしまう
哲学パンクな思想が隅にありますが、考えるが趣味でもあるので、
死んでいようが生きていようがそんなことはどうでもよくて、
ただただ思考を貪っている日々です。

ブルースリーよろしく、サーフィンスクールの波に乗る時の感覚よろしく、
考えるな感じろ。みたいに哲学の元をおるようですが、
というか哲学する資格がないことを言うと、哲学するのに理由は必要ないと思うのです。
そもそもの欲求ばかりを自分で探っても結局フロイトの本を読破したほうが遥かに早く、
しっかりした答えがでるしょうから。

ニカド電池を見て哲学的なひらめきをした!

問題集を途中まで進めては新しいものを買って一から取り組み始める塾の生徒がいたので、
物を最後まで使い切ることの大切さを説きたかったです。
勿体ないなどという普遍的な根拠を伝えてみても、心に届いている様子はありません。
日曜大工のために所有しているニカド電池を眺めながら打開策を練っていると、
哲学と言うべきひらめきが脳裏を駆け巡りました。

ニカド電池の残量が余っている場合に充電したら、蓄えられる上限が減ってしまいます。
成長の糧になる道具の使用を途中で諦めたら、
学力の上限が伸ばせるにもかかわらず新たな道を歩み出す点がニカド電池と通じます。
身近な物から着想を得ることができれば、哲学の進化を果たせる現実を直視させられました。

大学主催の古物市場で

哲学の書物を探し求めて古物市場にたどり着くと、
大学生たちが広場に集まり議論を重ねていました。
人類が今日までに成し遂げてきた内容から生きる目的を定めようとしており、
己の内に秘めている哲学の進化を見込んで話に加わることになります。
古物市場が閉まる時間まで議論した結果として、
哲学は言葉を尽くしても結論が出るか否かわからない点に楽しさを覚えると
改めて痛感しました。

哲学の進化に焦点を当てる場合は、学者であろうとも
説明がつきにくい領域に言及することに該当します。
長年にわたり蓄積されてきた哲学の考え方を駆使しても
古物市場で答えが出なかったものの、若いからこそ思案できる内容に触れられました。
哲学の進化は、他社とのつながりから形成することを知りました。

哲学の講義の時に手形割引の話になった

哲学の講義の際に何故か手形割引の話を教授がし始めた。
サルトルは「実存は本質に先立つ」と言っていたが、
哲学の進化と共に実存主義から構造主義が台頭するに至り、
実存自体を「記号」という概念で読み解こうという流れになったいうのだ。
そこに手形割引の話が出てきたわけだ。

手形というものの本質は、いつに、いくらの現金に交換可能ですよ
という約束の証書なのだが、それは手形のもつ本質なのだろうかというのだ。
手形という記号には、期日に記載通りの金額を現金と交換可能という意味があるが、
ある人にとっては、今日にでもしかるべきところに持ち込めば
割引の手数料を取られるが現金に代えられるという意味も持っているというのだ。
手形の実存性は人によって違うというのである。

哲学の先生家の給湯器が壊れたらしい

私は友人である哲学の先生のところによく行っています。
そこでは、哲学の進化について、いろいろ勉強しています。
もともと哲学には興味があったので、先生の話はとてもおもしろい内容です。
ある日、お茶を入れてくれるために台所に行ったところ、
給湯器が壊れたと言ってきました。

私の仕事は給湯器などの機械を扱っている会社で働いているため、
給湯器の修理はよくやっています。
先生の話を聞いて、私の自宅まで修理道具を取りに帰りました。
先生の家の給湯器は旧式だったため、修理するためにかなり苦戦をしました。
新しいものを買った方が良いと言いましたが、
この給湯器が気に入っているので、完全に壊れるまでは、使い続けるという話でした。