ニカド電池を見て哲学的なひらめきをした!

問題集を途中まで進めては新しいものを買って一から取り組み始める塾の生徒がいたので、
物を最後まで使い切ることの大切さを説きたかったです。
勿体ないなどという普遍的な根拠を伝えてみても、心に届いている様子はありません。
日曜大工のために所有しているニカド電池を眺めながら打開策を練っていると、
哲学と言うべきひらめきが脳裏を駆け巡りました。

ニカド電池の残量が余っている場合に充電したら、蓄えられる上限が減ってしまいます。
成長の糧になる道具の使用を途中で諦めたら、
学力の上限が伸ばせるにもかかわらず新たな道を歩み出す点がニカド電池と通じます。
身近な物から着想を得ることができれば、哲学の進化を果たせる現実を直視させられました。

大学主催の古物市場で

哲学の書物を探し求めて古物市場にたどり着くと、
大学生たちが広場に集まり議論を重ねていました。
人類が今日までに成し遂げてきた内容から生きる目的を定めようとしており、
己の内に秘めている哲学の進化を見込んで話に加わることになります。
古物市場が閉まる時間まで議論した結果として、
哲学は言葉を尽くしても結論が出るか否かわからない点に楽しさを覚えると
改めて痛感しました。

哲学の進化に焦点を当てる場合は、学者であろうとも
説明がつきにくい領域に言及することに該当します。
長年にわたり蓄積されてきた哲学の考え方を駆使しても
古物市場で答えが出なかったものの、若いからこそ思案できる内容に触れられました。
哲学の進化は、他社とのつながりから形成することを知りました。

哲学の講義の時に手形割引の話になった

哲学の講義の際に何故か手形割引の話を教授がし始めた。
サルトルは「実存は本質に先立つ」と言っていたが、
哲学の進化と共に実存主義から構造主義が台頭するに至り、
実存自体を「記号」という概念で読み解こうという流れになったいうのだ。
そこに手形割引の話が出てきたわけだ。

手形というものの本質は、いつに、いくらの現金に交換可能ですよ
という約束の証書なのだが、それは手形のもつ本質なのだろうかというのだ。
手形という記号には、期日に記載通りの金額を現金と交換可能という意味があるが、
ある人にとっては、今日にでもしかるべきところに持ち込めば
割引の手数料を取られるが現金に代えられるという意味も持っているというのだ。
手形の実存性は人によって違うというのである。